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東京地方裁判所 昭和31年(ワ)2320号 判決

原告 相原玉三郎 外二名

被告 宗教法人日蓮宗 外四名

主文

本件請求を棄却する。

訴訟費用は原告等の負担とする。

事実

(双方の申立)

原告等は、

「被告宗教法人正伝寺は、東京法務局日本橋出張所(当時東京司法事務局日本橋出張所)昭和二三年一二月一七日受付第四三〇号を以つてなしたる主管者変更登記の抹消登記手続をなすべし。

被告宗教法人正伝寺の設立が無効であることを確認する。

被告宗教法人正伝寺は、東京法務局日本橋出張所昭和二九年三月二二日受付第五五号を以つてなしたる同法人の設立登記の抹消登記手続をなすべし。

訴訟費用は被告等の負担とする。」

旨の判決を求め、被告等は、訴却下の判決を求め、予備的に請求棄却の判決を求めた。

(原告等の主張)

一、原告等は、東京都港区芝金杉浜町四七番地を所在地とする宗教法人正伝寺(以下「旧法人正伝寺」と略称する)の檀徒総代であるが、同寺は、昭和二三年七月一八日以降住職が欠けたままであつたので、原告等は、同寺寺院規則九条二項に従つて同寺法類総代と協議したうえ、訴外青柳真正を後任住職候補者に選定し、同年一〇月、所属宗派である被告宗教法人日蓮宗の管長に対し、これが承認申請の手続に着手した。

二、ところが、被告日蓮宗は、同年一二月二四日突如として、被告田村行泰を同月一五日付で右正伝寺の住職に任命した旨を原告等に通知してきた。

1  しかしながら、被告田村に対しては未だ被告日蓮宗の任命行為がなされた事実はない。

すなわち、被告日蓮宗が被告田村に対してなしたと被告等のいう右任命は、実は、別紙記載の日蓮宗宗則一八号六条に基き日蓮宗管長が被告田村を旧法人正伝寺の住職とすることにつき与えた「承認」に過ぎないのであつて任命ではない。しかも、右「承認」については、右田村を住職候補者とすることにつき、正伝寺の代務者ないし関与人の選定行為もなければ、原告等檀徒総代の同意もなく、また、右田村を住職として承認せられることを求める申請もないから、被告日蓮宗管長のなした右「承認」は、同条所定の有効要件を欠く無効のものである。

2  かりに、被告日蓮宗の右任命が、別紙記載の日蓮宗宗則一八号九条に基くいわゆる特選任命であるとしても、右任命は無効である。すなわち、

(一) 右任命の根拠となつた右宗則一八号九条は、その成立の経過よりみて無効の規定である。右規定は、宗則の他の規定とともに、昭和二三年三月頃被告日蓮宗の宗会で可決成立したと称せられているのであるが、元来、宗会は宗会議員選拳法によつて選出せられた宗会議員によつて構成されるべきところ、右宗会においては、宗会議員選拳区内の宗務所長が右議員の名を冒して出席、右決議を行つたものであつて、このような決議は適法なる宗会の決議とは認められないから、これによつては適法有効なる宗則の成立するいわれがない。したがつて、上記宗則一八号九条は無効の規定であるから、これを根拠とした上記任命もまた無効である。

(二) 右が理由なしとしても、右九条はその内容よりみて無効である。すなわち、本件任命の行われた当時の右九条の規定は、住職任命について管長の専断を許し且つこれに不服を申し立てる途を欠いた規定であつたところ、元来民主的であるべき宗教団体の内部においては、かかる反民主的な規定は公序良俗に違反するものとして無効の規定と目すべきである。したがつて、これを根拠とした上記任命もまた無効である。

(三) かりに上記の(一)及び(二)が理由なく、右九条がそれ自体は適法且つ有効な規定であるとしても、右規定は旧法人たる正伝寺に対しては何等の効力をも及ぼし得るものではない。

すなわち、先ず、被告日蓮宗と旧法人たる正伝寺とは全然別個の法人である。なるほど日蓮宗は正伝寺の所属する宗派には相違ないが、それはただ正伝寺の設立、規則の変更、財産の処分、解散等については日蓮宗の承認を得る義務があることを意味するにとどまり、各自は全く独立した別異の法人である。したがつて、先ずこの点からいつて、「被告日蓮宗の宗則、殊に右九条の効力が当然に旧法人正伝寺に対して及ぶ」とすることはできない。

つぎに、しからば右規定が旧法人正伝寺に対して効力を及ぼし得べき他の何等かの根拠があるかというに、法令上も契約上もそのような根拠はない。法令上の根拠については、現行の宗教法人法(昭和二六年法一二六号)はもとより、本件任命当時施行せられていた宗教法人令(昭和二〇年勅七一九号)にも、ある宗派の管長がその所属寺院の住職を右規定のような方法で任命し得ることを認めた規定がなく、むしろこの点は、右宗教法人令が、その制定にあたり、旧来存した宗教団体法及び同令上のいわゆる特選任命の制度を、非民主的な制度として採用していない事実からも明らかである。つぎに、契約上の根拠については、被告日蓮宗の宗則は、同宗が独自の立場で制定したもので、旧法人正伝寺は何等これに関与していないし、また、右正伝寺側にとつては、同寺の規則中に右のような特選任命なるものを認容ないし受諾したような趣旨の規定は全く存しない。なお、右日蓮宗の宗則以外に、日蓮宗と正伝寺との間に右九条のような制度を認める合意も協議も存しない。

そこで以上によれば、右九条なる規定は旧法人正伝寺に対しては何等の効力をも及ぼさないことが明らかであるから、これに基いてした上記任命もまた右正伝寺に対し何等の効力をも有しないものである。

(四) 更にかりに右規定が旧法人正伝寺に対し効力を及ぼすとしても、右規定に基く行為は管長の「任命」であるにもかかわらず、その辞令には「承認」の字句を使用して前記宗則一八号六条に基く管長の「承認」であるかの如き形式を採つていることは、その任命形式において欠けるものがあり、この点から見ても、それは無効であるといわなければならない。ゆえに、右任命は何等その効力を生じないものである。

三、以上述べたとおり被告日蓮宗が被告田村行泰を旧法人正伝寺の住職に任命したこともなく、また、仮に任命したとしてもそれは無効のものであつて、被告田村行泰は何等旧法人正伝寺の住職たる地位を取得しないにもかかわらず、昭和二六年四月前記宗教法人法の施行に伴い、被告田村は、旧法人たる正伝寺の代表者(住職)として、同法付則五項以下の規定による手続を了して昭和二九年三月二二日新法人たる被告正伝寺を設立し、同時に、自らはその責任役員兼代表役員となり、また被告川下寅蔵及び藤沢直七を同寺の責任役員に選定した。

四、しかしながら、被告田村行泰が旧法人たる正伝寺の住職たる地位を取得したことのないのは上述したとおりであるから、同被告が旧法人正伝寺の代表者としてなした新法人正伝寺の設立手続はすべて法律上その効力がなく、結局、被告正伝寺の設立は無効であるといわなければならない。

しかして、かかる場合においては、旧法人たる正伝寺は解散となることなく依然存続するものと解すべく、かりに解散したとしても、清算の目的の範囲内でか、または、少なくとも事実上存在する宗教団体としてなお存続するものと解すべきである。そこで、旧法人たる正伝寺の存続を前提として、先ず被告正伝寺に対し旧法人正伝寺の主管者を田村行泰と変更した登記の抹消登記手続をなすことを求めるととも、被告等五名との関係において被告正伝寺の設立無効確認の判決を求め、且つ被告正伝寺に対しその設立登記の抹消登記手続を為すことを求めるものである。

五、なお、被告等の本案前の抗弁についてはすべて争う。

但し、昭和二四年一月一五日付をもつて原告等三名に対し旧法人正伝寺の檀徒総代たることを解任する旨の通知があつたことは認めるが、右解任は原告等を解任する権限のなぃ被告田村のした無効の行為であつて、原告等は依然正伝寺の檀徒総代たる地位を有するものである。

(被告等の本案前の抗弁)

一、本訴については、裁判所は裁判権を有しない。すなわち、前記宗教法人法八五条によれば、「この法律のいかなる規定も、文部大臣、都道府県知事及び裁判所に対し、宗教団体における信仰、規律、慣習等宗教上の事項についていかなる形においても調停し、若しくは干渉する権限を与え、又は宗教上の役職員の任免その他の進退を勧告し、誘導し、若しくはこれに干渉する権限を与えるものと解釈してはならない」旨規定されているが、本件争点は正しく「宗教上の役職員の任免」に関する事項であるから、裁判所は何等これに干渉し得ず、すなわち本訴について裁判権を有しない。

二、原告等は、本訴の当事者適格を有しない。すなわち、原告等は、かつて旧法人正伝寺の檀徒総代であつたことはあるが、昭和二四年一月一五日各右総代たることを解任せられたから、それ以後各自は単なる檀徒にすぎない。しかして、本訴は、右正伝寺の住職選任行為の効力の有無が前提争点であるところ、単なる檀徒には右効力の有無を訴をもつて争うような権限、資格がなく、すなわちそのような法律上の利益を有しない。

三、以上いずれによつても、原告等の本件訴は不適法な訴であるから却下せられるべきである。

(被告等の答弁)

一、原告等主張一の事実中、原告等が旧法人正伝寺の檀徒総代であつたこと(但し、昭和二四年一月一五日まで、)同寺が昭和二三年七月一八日以降無住寺であつたこと及び同寺の所属宗派が被告日蓮宗であることは認めるが、その余は争う。

二、同二の事実中、被告日蓮宗が同年一二月二四日原告等に対し同月一五日付で被告田村行泰を右正伝寺の住職に任命した旨を通知してきたこと、被告日蓮宗の宗則一八号六条及び九条の内容が別紙記載のとおりであること、被告日蓮宗と旧法人正伝寺とが別個の法人であること及び右任命の辞令に「承認」なる字句を使用したこと(但し、通常の「承認」と区別するため、辞令の右角に「本任」なる字句が入れてある)は認めるが、その余は争う。日蓮宗は正伝寺に対し、包括団体、統制団体の関係にたつものである。したがつて、両者が別個の法人であるとしても、なお正伝寺は日蓮宗の統制規律たる宗則等の規定に従う義務がある。しかして、管長の住職任命の制度が法令の趣旨に反するものでないことは、宗教法人令が、宗教団体法上の特選任命制度を明文をもつて受け継がなかつたかわりに、同令付則において、当時特選任命制度を採つていた各宗派、寺院等の宗則をそのまま有効と認める態度に出ていることによつても明らかである。

三、同三の事実中、被告日蓮宗の任命が行われたことはなく、又は行われたとしても無効であつて被告田村は住職ではないとする部分を除いてすべて認める。

四、同四の事実はすべて争う。

(証拠)

原告等は、甲第一号証の一、二、第二号証を提出し、証人馬田即貞の証言を援用し、「乙第一ないし第四号証は認める。第五号証及び第六号証の一ないし八は不知。第七号証は否認する」と述べた。

被告等は、乙第一ないし第五号証、第六号証の一ないし八、第七号証を提出し、証人永倉唯嘉の証言を援用し、「甲号各証の成立は認める」と述べた。

理由

一、先ず、被告等の本案前の抗弁について判断する。

1、被告等は、本訴について裁判所は裁判権を有しないと主張する。なるほど、宗教法人法八五条は、裁判所が「宗教上の役職員の任免」に干渉等する権限を有しないことを明記しているけれども、この規定は、信教の自由の保障の観点から、調停和解等の裁量的余地のある方法で干渉することを禁止したものであつて、このような自由裁量的な方法によらないで、宗教上の役職員の任免について法的に争ある場合裁判所がこれに法律的判断を加えることを妨げる趣旨の規定ではない。しかして、本件は正しく裁判所が法律的判断を下し得る場合なのである。

被告の主張は理由がない。

2、被告等は、原告等が本訴の当事者適格を有しないと主張する。しかし、原告等が少なくとも本件正伝寺の檀徒である以上(このことは被告等の自認するところである)、右正伝寺の利害関係人として、その住職の選任の効力の有無に関し訴を以つて何等かの法律的請求をなすことを一般的に排斥しなければならぬ理由は何等存しない。

被告の本主張もまた採用出来ない。

二、つぎに、旧法人たる正伝寺が昭和二三年七月一八日以降無住寺であつたところ、その所属宗派である被告日蓮宗が同年一二月二四日原告等に対し同月一五日付で被告田村行泰を右正伝寺住職に任命した旨を通知してきたことは当事者間に争がない。原告等は右任命が実際に行われたこと乃至はその効力を争うので、以下順次原告等の主張について判断する。

1、原告等は、右任命の実体は、日蓮宗宗則一八号六条に基く「承認」であり、且つ同承認は所定の要件を欠いて無効であると主張する。しかして、成立に争のない甲第一号証の一、二によれば一見右任命なるものは実は右一八号六条に基く「承認」であるかのように窺われるのであるが、証人永倉唯嘉の証言によれば、右任命はあくまで日蓮宗宗則一八号九条に基くいわゆる特選任命であつて、ただ当時の聯合国占領治下の特殊情勢を配慮し、「任命」なる語を避けて民主的感じの強い「承認」なる語を用いたにすぎないこと、しかしその際にも本来の「承認」と区別するため、辞令の肩書部分に「本特」又は「任特」なる語を付加して「任命」の意を表わしていた事実が認められる。したがつて、右甲第一号証の一、二に記載ある「承認」の語も右の趣旨に沿つて解釈せられるのであつて、他に右認定を左右する証拠がない。ゆえに、この点に関する原告の主張は採用することができない。

2、原告等は、つぎに、右任命が宗則一八号九条に基くいわゆる特選任命だとしても、右任命は無効であると主張する。

(一)  右任命の根拠となつた宗則一八号九条は、その成立の経過よりみて無効の規定であるから、右任命もまた無効であると主張する。しかしながら、乙第六号証の一ないし八(その成立の真正なることは、証人永倉唯嘉の証言によつて認める)及び証人永倉唯嘉の証言を綜合すれば、右宗則(右九条を含む)は昭和二三年三月中旬被告日蓮宗の宗会で適法、有効に可決、成立したことが認められ、他に右認定を左右する証拠がない。したがつて本主張は採用できない。

(二)  右九条は、管長の専断を許し且つ不服の道を開いていないから公序良俗に反すると主張する。しかし、宗則一八号六条によつて寺院側からの自発的な住職の選任手続が執られない場合に始めて管長の住職任命を認めているのであつて、始めから管長の専断的な任命権を認めているのではないから、その任命について不服の道を開いていなくてもこれを以つて直ちに公序良俗に反した無効の規定であるといい得ないのみならず、他に右規定が公序良俗に反して無効たるべき何等の事実の立証もないから、本主張も採用の限りではない。

(三)、右九条は、旧法人たる正伝寺に対し何等の効力をも及ぼさないと主張する。しかして、被告日蓮宗と旧法人たる正伝寺とが別個の法人であることは当事者間に争なく、被告日蓮宗の宗則の制定について旧法人正伝寺がこれに関与しまたはかかる宗則を制定するについて日蓮宗との間に合意乃至協議がなされた事実を認めるに足りる証拠もなく、さらに、本件任命当時施行されていた前示宗教法人令にはその制定前に施行されていた宗教団体法(同令を含む)に定める管長の住職任命権の規定を欠いている訳ではあるが、しかしながら、右宗教法人令二条二項六号、三条二項三号、同条三項、六条、一一条、一二条、同令付則二項等の規定をよく検討してみると、同令は、宗派と寺院との関係につき、包括団体である宗派の統制が単位団体たる各寺院に可及的に及ぶことを前提としているものと解せられる。したがつて、ある宗派の所属寺院は、当該宗派を離脱するか、もしくは当該寺院の自律性を否定するような規律でない限り、その宗派の宗則等の規律に従うの義務あるものといわなければならない。しかして、右宗教法人令がいわゆる特選任命の規定を設けていないことは、この制度がそれ自体としては原則として寺院の自律性を否定するまでのものとは認められないから、これを禁止ないしは廃止しないでこれを各宗派の自治に任せた趣旨と解せられる。したがつて、ある宗派の規律中に特選任命の規定がある場合には、それが所属寺院の自律性を害しないかぎり、その所属寺院は右規定による任命に従う義務があるものというべきである(その場合、当該寺院の規則中に右特選任命を認める規定の存することは必ずしも必要ではない)。ゆえに本件についても、被告日蓮宗の宗則規定たる右九条は、いわゆる特選任命について規定しているけれども、特選任命それ自体が宗教法人令の解釈上当然禁止または廃止された制度であるとすることができないばかりでなく、その任命権の発動が前記六条による寺院側からの自発的な住職の選任手続の行われない場合に限られているところからみて、右九条は所属寺院の自律性を否定するまでのものとは到底認められないから、同規定は当然旧法人たる正伝寺に対しても効力を有し、したがつてまた右規定に基く上記任命も当然旧法人たる正伝寺に対して効力を有し、正伝寺はこれに従う義務があるものと解すべきである。よつて、原告等の本主張もまた採用できない。

(四)、右任命は、「承認」の形式で行われた行為であるから無効であると主張する。しかし、任命行為をなすことが違法な行為でない以上、その形式がたとえ「承認」の形式で行われても、これを目して直ちに右任命が無効だとすることはできない。原告等の本主張も採用の限りでない。

三、以上の次第であるから、被告日蓮宗のなした本件任命は有効な任命であり、したがつて被告田村行泰は旧法人たる正伝寺の住職たる地位を有効に取得したものというべきである。そこで、被告田村が右正伝寺の住職たる地位を取得していないことを前提とする原告等の本訴請求は、爾余の争点に関する判断をするまでもなく、すべて理がないから失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴八九条、九三条一項本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 菅野啓蔵 宍戸清七 小谷卓男)

別紙

日蓮宗宗則

(一八号六条) 一般寺院の住職が欠けた場合には、代務者があればその代務者が住職候補者一人を選定し関与人及び総代の同意を得て、代務者もなければ関与人が住職候補者一人を選定し総代の同意を得て、住職の欠けた日から九〇日以内に管長の承認を申請しなければならない。

(一八号九条) 住職が欠けた日から九〇日以内に住職候補者を選定しないときは、管長は、宗務所長に事実を調査させたうえで住職を特命することができる。

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